感染性心内膜炎の予防と治療に関するガイドライン(2008年改訂版)
Guidelines for the Prevention and Treatment of Infective Endocarditis(JCS 2008)
 
 

Ⅵ 予防

 感染性心内膜炎の頻度は100万人の人口あたり年間10~ 50例の発症と考えられている.この稀有性ゆえに,なかなか診断がつかず,合併症を起こしてからはじめて診断される場合が多い.

 2003年に発表したわが国のガイドライン以降,欧州心臓病学会のガイドラインも発表され,さらに2007年にはAmerican Heart Associationのガイドラインも改訂された.2007年のAHA の修正の大きなポイントは,抜歯のときの抗菌薬の予防的投与の有効性に対して十分な科学的根拠がないことを明確にし,費用効果バランスから抗菌薬の予防的投与はより深刻な病態になりうるような心疾患に限定した点と消化器,泌尿器科的手技に際しての予防のためだけに抗菌薬の予防的投与を推奨しないことにしたという点である.

 わが国のガイドラインでは,当初から,感染性心内膜炎の予防あるいは重症化防止のためには,単なる抗菌薬の予防投与のみでは不十分であると強調してきたので,今回の2007年の改訂と大きく異なるものではない.また,抗菌薬の投与が菌血症を減少させるという研究が2004年に発表されたものの,科学的な根拠が大きく変化したものでもない.さらにAHA のガイドラインの50年の歴史の中でも抗菌薬予防投与による致命的なアナフィラキシーは一件も報告されていないとAHA2007 年のガイドラインにも明記されている.

 抜歯などの処置の前に,抗菌薬の予防を実施しなかったために感染性心内膜炎に罹患したと訴訟で主張することは非科学的であることは,2007年のAHA ガイドラインで,明記されている.しかし,抗菌薬を予防的に非日常的な用法用量で投与することは,歯科医,総合診療科医,患者に感染性心内膜炎に対する特別な関心を喚起することになり,結果的に,予防,早期診断に対して有効であると思われる.

 予防というのは,単に抗菌薬の予防投与にとどまらず,ハイリスク群が,菌血症を起こす危険がある手技に接する際に,正しく教育されていることも重要であるということがガイドライン委員会の共通の認識であった.そのために患者に渡すカードの作成を推奨し,患者自身も発症と重症化の予防に取り組むという姿勢を強調した.わが国のガイドライン作成後,感染性心内膜炎の知識は循環器内科医のみならず多くの総合診療科医にまで普及した.これは,当ガイドラインの予防に対する方向性の妥当性を示している.そのようなわが国の事情を踏まえて,2007年のAHA の改訂を考慮しつつ,ガイドラインの一部を改めた.

 感染性心内膜炎は,早期に診断し,適切な治療を行うことが重要である.そこで,当ガイドラインでは,従来より一次予防に加えて,患者への発熱時の早期対応に関する教育の重要性を強調してきた.これは,わが国では,感冒に対する抗菌薬投与が慣習化しており,発熱に対して安易に抗菌薬を投与するという医療事情を踏まえたものである.今回の改訂では,さらにその点を強調した.そして,抗菌薬の予防投与については,抜歯などの歯科的処置の前には従来どおり実施することを推奨するが,消化器あるいは泌尿器科的手技に際しては,感染性心内膜炎を引き起こす腸球菌が多剤耐性であることが多いことを勘案し,感染性心内膜炎の予防のための抗菌薬投与は必須ではないと改めた.さらに,抗菌薬の予防投与の投与量については,わが国の事情を勘案し,患者の体型などで主治医の裁量を大きく認めた.

 感染性心内膜炎は,心内膜炎の原因となりうる病原微生物の菌血症に伴って発症する.よって,一次予防をするためには,どの患者に心内膜炎が起こりやすいか,どの手技・処置が原因となるのかを予測しなくてはならない.しかしこの予測は,疾患の稀有性ゆえに困難である.

 一方で,基礎心疾患がないにもかかわらず感染性心内膜炎を来した症例の実態は不明である.わが国のアンケート調査では,17.9%とわずかであるが,これは,循環器科からみた診断であり,一般病院では基礎心疾患がない場合ももっと多い可能性があるからである.1999年の英国の統計では,37.7%と高率であったことは,母集団による相違を感じさせる.早期診断を行うためには,ハイリスク群でないからといって感染性心内膜炎の可能性を除外してはいけないが,ハイリスク群であれば,より厳密な予防を実施しなくてはならないことは明白である.

 心内膜炎を予防するには,次の点がポイントとなる.
 (1)どのような心疾患が心内膜炎のリスクとなるか(ハイリスク群の認識)
 (2)どのような手技・処置が心内膜炎のリスクとなるか
 (3)予防法の手順とその根拠
 (4)どのような時に感染性心内膜炎が疑われて,適切な処置が必要であるかの教育の重要性
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